アマヤについて

代表取締役 清田顕彦(せいたあきひこ)

株式会社アマヤは、神奈川県平塚市にある保険会社の代理店です。

小学生の列にトラックが突っ込んだり、観光船が沈没したり、突然ひょうが降ってきたり、私たちの身の回りには、さまざまなリスクがひそんでいます。

そんなまさかに備えて保険という商品が存在します。

私たちのお仕事は、単に保険商品を勧めるのではなく、人生における不安や不満を解消していただき、地域のみなさまが健康で幸せな人生を送っていただくことです。

お仕事・子育てで自由な時間が無く、忙しい毎日を送っているみなさまのお悩みを、一緒に解決できればと思っております。

まずは電話かWEBの無料相談で、お気軽にお問い合わせください。

正直にまじめに、みなさまの家族になったつもりでお手伝いいたします。

昭和48年1月生まれのAB型

家族:妻、長女、次女、長男

趣味:足裏マッサージ、腸活

音楽:BOØWY、長渕剛、男闘呼組

座右の銘:苦難は幸福の門

経歴

1985年3月 平塚市立松延小学校卒業

1988年3月 平塚市立金旭中学校卒業

1911年3月 神奈川県立大磯高等学校卒業

1995年3月 青山学院大学法学部 私法学科卒業(会社法 関英昭ゼミ所属)

1995年4月 安田火災海上保険株式会社入社(新卒フロンティア27期生)

1998年4月 代理店として独立開業

2008年4月 株式会社アマヤ 代表取締役に就任

現職

一般社団法人神奈川県損害保険代理業協会 副会長

一般社団法人神奈川県損害保険代理業協会 企画環境委員長

平塚市倫理法人会 監査 etc

スタッフ紹介

清田恒顕
せいたつねあき

昭和19年11月生まれのA型

趣味:ウォーキング、ゴルフ

学歴:神奈川県立平塚江南高等学校、慶應義塾大学法学部卒業

役職:神奈川県PTA協議会会長、神奈川の教育を推進する県民会議代表、平塚市教育委員長、平塚南ロータリークラブ会長等 歴任

お客さまへのメッセージ

清田家は、平塚市に根ざして約450年の歴史があります。

ご先祖さま、地域への恩返しとして、知力体力の続くかぎり仕事を続けていくつもりです。

75歳を超え、メールやPC、スマートフォンと奮闘中ですが、長年で培った正確な事務処理には自信があります。

清田けい子
せいたけいこ

昭和23年8月生まれのB型

趣味:絵手紙、つるし雛づくり、ゴルフ

役職:平塚法人会女性部会会員、平塚市勤労者共済会評議員等

お客さまへのメッセージ

男3兄弟の子育てもようやく終わり、セカンドライフを楽しみながら仕事をしています。

当社は家族経営、アットホームな雰囲気の会社です。

ご来店をいただいたすべてのお客様が安心してゆっくりとくつろげるよう、おもてなしの心で対応させていただきます。

あまっぴ

幸せの青い鳥「おおるり」をイメージした、株式会社アマヤのマスコットキャラクターです。

災害・事故・病気はいつ降りかかってくるかわかりません。快晴の日にこそ『雨』が降ったときのことを考え、みなさまに安心の傘をご提案します。(雨宿りとアマヤ鳥をかけています)

あまっぴ

これまでの歩み

令和4年2月がん対策推進企業アクション推進パートナー登録
令和3年6月全国社会保険労務士連合会 職場環境改善宣言企業認証
令和3年3月経済産業省 事業継続力強化計画の認定
平成32年4月清田顕彦 一般社団法人神奈川県損害保険代理業協会 副会長就任
平成30年4月清田顕彦 一般社団法人神奈川県損害保険代理業協会 理事就任
平成20年7月平塚店舗コンクール 優秀賞受賞(飲食・サービス業の部)
平成20年6月開業30年 保険会社より永年功労賞受賞
平成19年4月平塚駅南口に新店舗完成 清田恒顕から清田顕彦へ代表者変更
平成9年1月生命保険の取扱い開始
平成7年4月清田顕彦 代理店研修生(F27期)として安田火災に入社
昭和61年5月株式会社尼屋本店から株式会社アマヤに社名変更
昭和60年11月平塚エリアで初となる最高代理店種別「特級」認定
昭和53年6月清田恒顕 損害保険代理店(株式会社尼屋本店)開業 【代理店登録番号 21726000975】

尼屋(あまや)ものがたり

平塚市を流れる相模川の河口に、須賀(すか)という地域があります。

須賀では、はるか昔から漁猟がおこなわれており、住んでいた人々は獲れた魚や貝を干物に加工して、山間の人達と物々交換をしていたと言われています。

昔の須賀の様子
須賀公民館提供
須賀から見た相模湾
須賀公民館提供
昔の須賀の風景
須賀公民館提供

小田原北条氏が栄えていた頃(1495~1590)、摂津の国(兵庫県の一部)尼崎から須賀の地に移り住んだと言われる清田家先祖(清田伊八)は、尼崎が出身地であることから故郷をしのぶ縁として、屋号を「尼屋(あまや)」と名付けたと言われています。

清田家に代々伝わる古文書(小田原北条氏の印判状6通)は、昭和37年2月8日に平塚市の重要文化財に指定されましたが、古文書の内容から判断すると、清田家は廻船問屋・干鰯(にしん、いわし等の乾燥肥料)商を営む須賀の有力者で、小田原北条氏が支配していた時代には、須賀の小代官をつとめていたと考えられています。

小田原北条時代の須賀港は伝馬制の宿駅に相当する「浦」のひとつで、当時は物資などを浦から浦へ船送りする制度である、海上交通のための「浦伝制(うらづたい)」がありました。

このため北条氏にとって須賀の港は直轄地となっていたものと思われ、小代官・代官等をもってこの地を管掌させていたようです。また、相模川上流の木材が筏士(いかだし)によって須賀まで運ばれ、小田原本城や鎌倉の寺社建築の用材として各地に送られていきました。

昭和の清田家
清田家は明治時代まで今の平塚漁港付近に居所がありましたが、鉄道(東海道本線)の開通に伴い、将来を見据え平塚駅南口に移転しました。
昭和の清田家
戦後しばらくして、清田家は食糧難を少しでも緩和するためにパンの製造販売業を営み、昭和53年に閉店するまでは、地元の港小学校や花水小学校に給食のパンを提供していました。ちなみに、写真にもある「駅南口」のバス停は、なぜか駅から少し離れた尼屋の前にありました。食糧を求め、地域の人が集まるスポットだったのかもしれません。

家紋(ロゴマーク)のこと

鎌倉時代の執権「北条氏」と戦国時代に小田原城を本拠とした「後北条氏」、同じ一族かと思いきや、血縁関係は無いと言われています。

鎌倉時代の執権、北条氏が家紋に「三つ鱗(みつうろこ)」を使いはじめた由来は、江の島にあるとされています。

北条政子の父である北条時政が、江ノ島弁財天に子孫の繁栄を祈願していました。

祈り続けていたある夜のこと、北条時政の目の前に神秘的な衣をまとった美女(弁財天)が突然目の前に現れました。そして、厳かな声で北条家の未来についてお告げをしたそうです。

「あなたの前世は箱根の法師です。修行して徳を積み、この世に生まれ変わりました。素晴らしい前世を持つあなたの子孫は、末永く日本の主となって繁栄することでしょう。しかし、正しい行いをしなければ、七代以上は続きませんよ。」

弁財天はお告げの後、大蛇(龍)に変身し、海中へと消えていったそうですが、その後ろに三枚の鱗を残していったそうです。

そして北条時政は「所願成就した」と喜び、残された三枚の鱗を家紋に使用することにしました。このようにして、北条家の家紋は「三つ鱗」となったといわれています。

鎌倉時代の北条氏と後北条氏の家紋の違いとしては、前者が正三角形を組み合わせた「三つ鱗」であるのに対し、後北条氏は二等辺三角形を組み合わせた「三つ鱗」を使用しているところにあります。

北条鱗とも呼ばれています

戦国時代の北条氏は、家紋をはじめ執権時代の北条氏の模倣ばかりをしていますが、関東地方で100年ほどの力を持っていたことを考えると、名門一族の名、いわばネームバリューを利用したことは、権威を示すための賢い選択だったのではと感じます。今でいうイメージ戦略です。

旧ロゴマーク

旧ロゴマーク。

ロゴマークの意味

アマヤのロゴマーク

アマヤのコーポレートカラー「青」は信頼と誠実を表現しています。

北条氏の家紋「三つ鱗(みつうろこ)」をモチーフに、アルファベット“AMAYA”を織り交ぜ、三角形には、「買い手よし」「売り手よし」「世間よし」という近江商人の経営哲学「三方よし」の理念をこめています。

中央には日の丸をあしらい、仕事を通して人々のお役に立ち続けることで、地域社会への貢献、ひいては、美しい日本の創生につながるという志をイメージしています。

所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!
2019年5月17日放送 20:54 – 21:54 テレビ東京

平塚市の重要文化財に指定
代々の北条家の当主が使った印
清田家20代目の当主。清田恒顕。
東海道平塚宿で450年続く旧家。戦国武将北条氏からの朱印状
1570年北条氏政からの朱印状
街道一のお宝を探せ!

2022年9月18日